山王院→今市追分地蔵尊→日光山興雲律院→小来川→鉢岡→古峰ヶ原→深山宿にて採灯護摩を修行→三枚岩
この地蔵菩薩は、法界定印を結び一般の錫杖と宝珠を持つ姿とは異なっている。 日光街道と例幣使街道の追分にあることから追分地蔵尊として近隣の崇敬を集めており、その大きさは東日本有数の巨像である。
近年、日光修験道は春峰の時、山王院から日光へ向かう途中、この地蔵尊を礼拝する。最近、杉並木の古木が台風で倒れたが道路や車、人家に倒れず、木が傾いていた方向と逆に地蔵堂に向かって倒れ、ケガ人や事故がおきなかったため、大受苦(代わりに苦しみを受ける)菩薩としてその霊験はまさにあらたかである。
大谷川と稲荷川の合流する小高い丘の上にある。開山、勝道上人は深沙大王の示現により、山菅橋(やますげばし:現・神橋)を渡り、始め現在の唯心院の地に仮庵を結び、紫雲の立つを見て四本龍寺を建てられたという。
ここにある三重の塔は鎌倉幕府三代将軍源実朝の寄進によったものの再建である。
日光修験道冬峰修行の最終行場でもあり、宿としてはよく整備されている。日光山独自の顕密護摩の壇もあり、正面に石の不動明王と金剛堂があり、明星天子(本地:虚空蔵菩薩)を祀る。少し下に明星天子を祀る社(星の宮)もある。写真は日光修験道に古くから伝わる顕密護摩壇。
昔、日光の修験者は小太郎坂を登り、小来川(おころがわ)を通過し古峰ヶ原(こぶがはら)に向かった。ここは星の宮で本地は虚空蔵菩薩である。
このお宅は代々修験者がお昼を使ったお宅で、正面玄関には大先達用の上段の間があり、その格式がうかがわれる。
日光修験道の重要な行場で深山の名は大峯深山より起こる。深山は大峯山では中台八葉深山宿といい深山大灌頂の聖地で、日光修験もこの所を深秘所としていた。金剛童子を祀る金剛堂がある。
日光開山勝道上人が禅定三昧を修したという。金剛童子を祀る。旧くはここを釈迦岳と称したと思われる。ちなみに旧前鬼(現・古峯神社)の鎮守は妙見菩薩(霊符神社)である。