日光修験道
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日光修験時報「山王」

平成21年春号 より

『第九』と火生三昧 (後編)

原澤雄健


立螺吹奏 ところでドイツで「第九」に最も心酔した音楽家は、ベートーヴェンの後継者を自負したワーグナーであった。演奏の大変さからお蔵入りになりかけたこの曲を、事ある毎に指揮して世に真価を広めるべく努めた彼は、自らの楽劇「ニーベルングの指環」の最後の部分で実に火生三昧そっくりの場面を舞台上で再現しているのが興味深い。そこではライン河畔に薪が積み上げられ、英雄ジークフリートの遺体を荼毘に付す炎の中に彼の妻ブリュンヒルデが自ら飛び込んでゆく。その瞬間にライン川の水が押し寄せて閼伽水の如く火と一緒になるのだが、一方で火は天上にも燃え移って権力と欲望の象徴であるヴァルハラ城は炎上し、世界は浄化されつつひとまず終焉を迎えるという結末である。  話を「歓喜の歌」に戻すと、この最後では冒頭の「神々」と別の「創造主」が現れる。

Seid umschlungen, Millionen!/Diesen Kuß der ganzen Welt!
抱き合おう、数百万の者たちよ!/ここでの接吻を全世界に向けよう!
Brüder, über'm Sternenzelt/Muß ein lieber Vater wohnen.
兄弟たちよ、天の帳の上に/愛する父がおわすに違いない
Ihr stürzt nieder, Millionen?/Ahnest du den Schöpfer, Welt?
跪こうか、数百万の者たちよ?/創造主を感じるかい、世界よ?
Such' ihn über'm Sternenzelt!/Über Sternen muß er wohnen.
天の帳の上に彼を探そう!/星々の上に彼はおわすのだ (拙訳)

「創造主」が「神々」や「星々」を越えた汎神論的な存在で、曼荼羅世界でいえば大日如来に相当するところに、「第九」の世界観が東洋思想にも近いことがわかるだろう。
最後にこうした洋の東西ないしは日独の文化の大きな接点を暗示するかのような、「第九」と火生三昧をめぐる二つのご縁を紹介しておきたい。全国で火生三昧を最も多く行っている寺といえば間違いなく我々日光修験の山王院であるが、この真向かいの坂田山に建つ鹿沼市民文化センターでは、毎年11月に市民による「第九」の演奏が行われている。音楽が盛んな鹿沼では、合唱だけでなくオーケストラも含めた全メンバーが中学生から社会人に至る一般市民三百人で構成され、昨年は私自身も第一クラリネット奏者として演奏に参加した。本番の日はたまたま山王院の柱源護摩の行事とかち合ったために分刻みでのハシゴとなり、朝のリハーサルでは着替えの時間もなく鈴懸のままクラリネットを吹いていた私は、いっそ坂田山の「第九」と山王院の火生三昧を抱き合わせのイベントにしたらどんなに面白いだろうかと考えずにはいられなかった。
もう一つのご縁は昨年にドイツのライプツィヒで起きた出来事である。私は昨年7月にこの町の音楽学校で開かれた「日本音楽の夕べ」という演奏会に招かれて法螺貝を吹奏する機会を得たが、このライプツィヒは実は前述のシラーが「歓喜に寄す」を1785年に書いた町であった。現地での私は鹿沼出身でドイツ人の音楽家と結婚されて今はこのライプツィヒに在住という、この演奏会を企画された女性のお宅に厄介になったのだが、「歓喜に寄す」が書かれた家は彼女のお宅から歩いて10分程のすぐ近所にあった。何も知らずにここを案内されて仰天した私は、4ヵ月後の鹿沼での「第九」演奏に思いを馳せながら今は記念館となったシラーの家を隅々まで見学し、その3日後にはワイマールの町を訪れて共に並んだゲーテとシラーの墓に詣でたのである。

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