日本でベートーヴェンの「第九」交響曲が師走の風物詩になったのは、そもそもは生活の苦しい音楽家たちが年越し費用を稼ぐため、年末の演奏会を関係者の縁故で満杯にすべく出演者の多いこの曲を選んだのが背景と言われている。しかし「第九」がここまで日本人に愛されるようになった背景としては、正月を生命が生まれ変わる新春になぞらえて心身を一新しようとする日本人の感覚と「第九」が持つ祭儀的な精神とが結びついたことも考えられ、更に我々修験者にとっては「第九」の歌詞中に、生まれ変わりの儀式である火生三昧に通じる部分があるのも注目される。本論ではこうした「第九」と火生三昧の関係を見ることで、洋の東西や日独の文化的な接点を探ってゆきたいと思う。
「第九」の第四楽章で歌われる「歓喜の歌」は、ゲーテと並ぶドイツの国民的詩人シラーが1785年に書いた<An die Freude>(「歓喜に寄す」)という詩から取られている。発表直後からドイツの若者たちに流行したこの詩にベートーヴェンも二十代で傾倒し、30年以上の構想を経た1824年に「第九」交響曲として結実するのである。
「第九」は全部で四つの楽章からなり、演奏には70分以上を要する超大作である。第一楽章の冒頭では空虚五度といわれる「ラ」と「ミ」の和音に、徐々に楽器が重なり合って最初の主題に発展してゆくのだが、この部分は明らかにベートーヴェンが宇宙ないしは自然の創生を想定したものと思われる。ちなみに我々修験者が天界の調べとして吹奏する法螺貝の四つの音は基本的に「ラ」と「ミ」の倍音なので(貝の大きさにより多少ピッチのばらつきはあるが)、法螺貝の曲はどれも「第九」の冒頭と似た雰囲気を持つことになる。
第四楽章のシラーによる「歓喜の歌」の冒頭はこう歌われる。
Freude, schöner Götterfunken,/Tochter aus Elysium/
喜びよ、美しい神々の火花よ/楽園の娘よ/
Wir betreten feuertrunken./Himmlische, dein Heiligtum!
我々は火に飲み込まれながら/天国的なお前の聖なる部分に足を踏み入れる
Deine Zauber binden wieder,/Was die Mode streng geteilt;
お前の魔法は今のご時世が厳しく分け隔てたものを/再び結び合わせる
Alle Menschen werden Brüder,/ Wo dein sanfter Flügel weilt.
お前の柔らかな翼の届くところでは/全ての人間は兄弟となる (拙訳)